自信なんているのかな~


エリートの強みは「根拠のない自信」 : 人類応援ブログ

 

こんな記事を見つけた。

エリート=成功者は根拠のない自身持っているだから、みんな根拠のない自信を持とうって内容。根拠のない自信かー。辛そう。昨日の記事でも書いたけど、自分に自信なんて持たないで失敗してもいいやくらいの意気込み何事も臨んだほうが楽だしうまくいく気がする

ネガティブ的ポジティブ思考 ネガティブが最強だ

僕はネガティブな人間だと思う。ネガティブって概して悪いことというイメージがあるから直さなきゃってずっと思ってった。だから常に物事をポジティブにプラスに考えようって自分言い聞かせてきた。きっとうまくいく、絶対にうまくいくそうやって何事にも取り組んだ。でも実際にそうやってうまくいかず失敗することなんてざらにあってやっぱりダメなんだーってネガティブ力が増していく。

 

何かに短期的なものに挑戦するときそれによって発生するプレッシャーも短期的であろう。長期的、人生全体を考えたときに成功させなきゃ、完璧に仕上げてやる、と意気込んで最初はやる気に満ち溢れているが、何かちょっとした事につまずきた時にさっきの意気込みはあまりにも大きすぎるプレッシャーではないだろうか。うまくいく、うまくいく、うまくいくそう考えても実際にはまるでダメ。こんな慢性的なストレスに耐えられる人なんているのだろうか。実際にはいるのだろうが、僕には無理だ。僕と同様にこういった慢性的なプレッシャーに弱い人はたくさんるのだと思う。

 

そんな人に僕は提案したい。(僕はまだ高校生でブログを見ていただいている方の大半の方より勉強不足で社会経験も乏しいのに偉そうですみません。ブログなので許してください)

ネガティブにマイナスに物事を考える。

べつにうまくいかなくたっていいし、成功なんて無理だし。更には自分を低く見積もる。多くのプレッシャーって自分に期待することによって発生しているのではないでしょうか。とすると逆説的ではあるけど自分へのハードルを下げるすなわち自分を低く見積もることによってそのプレッシャーの発生量も抑えることが出来るのだと思います。

僕は将来のことで不安になることがあります。あの大学に受かるだろうか、仕事はどうしようなどなど。そういった時に敢えて、別に大学なんて落ちてもいいし一浪でいいやー、どうせ俺なんて大したことは出来なし仕事なんて別にいい会社勤めれなくても、仕事ななんてうまくいかなくて当然だしといった風に考えます。そうすると、逆説的ではあるけどなぜだか、心が軽くなって勉教に集中できたり、プラスの現象が起きて来るんです。

 

ポジティブに考えて余計に発生するプレッシャーという重りなんて外しちゃえばいいんですよ。筋トレだって休みが必要だしね。

ネガティブにマイナスにばっか考えてたら本当に不幸や不安降りかかる気がするって?でも磁石はマイナスを跳ね除けて、プラスを引き寄せるんだぜ。

 

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あ、ネガティブにになるのはいいけど、あんまりネガティブな発言ばっかしてると、色々と面倒なこと起きたりするんで思考に限定する方がいいかな。

 

コミュ障でもいいじゃん

コミュ障って言葉をよく耳にする。コミュニケーション障害の略で対人関係が下手で相手の気持ちを察することが苦手な事を言う。最近だと、教師が企業はコミニュケーション能力がある人を求めているだとかいってたかな。巷ではコミュ力が無ければ就活が詰むだとか言われいるし、社会に出たら使えないという烙印を押されるようである。

確かにコミニュケーション能力が乏しいことによって自身が損をする、ないしは相手に迷惑をかけることもあるだろう。

だが、コミュニュケーション能力がないからといいて人間失格という態度をとるのは余りにも不寛容過ぎないだろうか。コミュケーション能力がない人間は概して他に特異な能力を持っている知り合いに、パソコンに詳しい奴がいるが対人関係はあまり得意ではない。これはちょうど盲目の人が聴覚が発達しているのと同じ構造だ。すなわち、ある分野が欠けてしまっているからそれを補うためにほかの分野が以上に発達すること。

こういった類の人間だって必要なはずだ。

ジェネラリストとスペシャリストは互いに助け合って行けばいい。

スペシャリストはその専門性で、ジェネラリストは専門性の変わり失った部分を補ってあげればいい。

文章をうまく書けるようになりてえって思ってたけど

いったいどうやったら上手な文章が書けるのだろうか。

僕は大学生になったら論文とかそういった類の専門性が高い文章が読めるようになりたいと思っているとともに、自分自身もそれなりの文が書けるようにならなくてはならないよなと思ってブログを始めた。そうすると必然的に上のような疑問が出てきた。

そもそも上手な文章ってなんだ?何かを成し遂げたいと思っても、その達成の定義がわかってなきゃ話が進まない。少し考えてみた。論理的な文、わかりやすい文、起承転結がしっかりしている文、専門性の高い文とまあ他ににも挙げられるだろうがざっと思いついたのはこんな感じ。

いくつか例挙げてみて気づいたのはのは、うまい文章って読者によって変わるってこと。論文って専門家の間ではわかりやすいけど、一般の人からしたらさっぱりだし、小説や詩だって人によって意見がばらばらだ。うまい文章の定義が人によって変わるとすると、うまい文章を書く必要なんてないんじゃないんだろうか。

うまい文章を書こうとするよりも、僕自身の思いを考えをぶつけた文章の方がほうがいい気がする。言葉の虚飾で飾り作った文ではなく、真っ直ぐ人の心に届くような文章を書けるようになりたい。

 

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これを書き終わってから少し考えてみて気づいたのですが、自分の気持ち考えのぶつけ方って色々ですよね。文章書いたらやっぱり人に読まれたいですし、その人の何かを伝えたいです。だから、ぶつけ方も考えていこうと思います。いまは答えが出てなけどいつかは見つけたいし、こういった物って最初からあるんじゃなくてそのうち出来ていくものなのかも。

 

 

 

 

 

 

将来のこと 漠然とした不安


 

将来は何で飯を食っていけばいいのだろう?

言葉をどのように解釈すればいいのだろう?

昔の僕は、将来死ぬまで就く仕事はなににすればいいのだろう?っという解釈でしたね。

 

しかし、大企業ですら潰れている今、そもそも一生就いていられるいられる仕事を見つけるなんて不可能だし、というか約40年間同じようなことするなんて嫌だし。

だとしたらいろいろな仕事を転々としていく前提でベンチャー企業に進むが最善のプランだろう。ベンチャーなら自分のやっている仕事が直接(少なくとも大企業よりは)結果に現れてくるのだろう。とすると責任、やりがいともに大企業なんかより上じゃないか。お金に対して執着のがあまりない僕にとってはベンチャー企業のほうが100倍魅力的だ。

 

が、しかしやはり不安はある。収入、世間体どうのこうのじゃない。

漠然とした不安だ。不安の根源がいったい何なのかわからない。

思春期特有のものだろうか。どちらにせよ僕はこの漠然とした不安に悩んでいた。

 

だけど昨日こんな面白い記事を見つけた

バイト先で出会った金髪イケメンの生き方がかっこいい - 生きづらいふ

 

この記事には面白い生き方をした金髪イケメンについて書かれている。

 

ホームレスで、バイトでお金を稼ぎ、お金が貯まったら国内や海外を旅行する。

こんな面白い生き方があるだろうか。そうだよ、生き方は一様なものではない。

人と違っていい。いや、むしろその方が面白いじゃないか。

 

僕の漠然とした悩みはきっと王道から外れることだった。けど、王道から外れることなんてきっとなんてことはないんだよね。

 

僕の心は少し軽くなった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介 

はじめまして

 

乙女のYです。 高校2年♂

 

将来の夢、やりたいこと、何為に生きているのか

わからないこと、見つけられてないことがいっぱいです。

ただ、有名になりたいBIGになりたいっていう漠然とした野望だけはあります。

じゃあ、何で有名、BIGになるの?……わからない。

 

これじゃダメですよね。

 

自分が本当にしたいことを見つけよう!

 

当ブログでは受験日記とか日々思ったことをマイペースに書いていきます。