コミュ障でもいいじゃん

コミュ障って言葉をよく耳にする。コミュニケーション障害の略で対人関係が下手で相手の気持ちを察することが苦手な事を言う。最近だと、教師が企業はコミニュケーション能力がある人を求めているだとかいってたかな。巷ではコミュ力が無ければ就活が詰むだとか言われいるし、社会に出たら使えないという烙印を押されるようである。

確かにコミニュケーション能力が乏しいことによって自身が損をする、ないしは相手に迷惑をかけることもあるだろう。

だが、コミュニュケーション能力がないからといいて人間失格という態度をとるのは余りにも不寛容過ぎないだろうか。コミュケーション能力がない人間は概して他に特異な能力を持っている知り合いに、パソコンに詳しい奴がいるが対人関係はあまり得意ではない。これはちょうど盲目の人が聴覚が発達しているのと同じ構造だ。すなわち、ある分野が欠けてしまっているからそれを補うためにほかの分野が以上に発達すること。

こういった類の人間だって必要なはずだ。

ジェネラリストとスペシャリストは互いに助け合って行けばいい。

スペシャリストはその専門性で、ジェネラリストは専門性の変わり失った部分を補ってあげればいい。